Positively, Negatively -ネガティヴに考えるのは悪じゃない-
私は昔から考えすぎる。
自分のこと、興味のあること、ふと気になったこと…とにかくなんでも考える。ボーッとする瞬間はこれっぽっちもないし、人と話していようがTVを観ていようが、何をしていても、とにかく同時に色んなことを考える。
それって、いけないことなのだろうか?
人を励ます時に、【あまり考えすぎず】というセリフを聞いたり口にしたりしたことがあるだろう。私も、言われたこと、口にしたことがある。
でも、それは【良い意味で考えすぎている場合はあり】だと思うんだ。むしろ、自分の目標を達成するためには、考えるに越したことはない。
ただ、negativeに考えてすぎてしまうのはやめた方がいい。そこからは何も生まれないし、自分をマイナスに持っていくことになる。実態はそうではないのに、思い込みでどんどん言動がマイナスになっていき、掴めるはずのものも掴めなくなる。というか、掴む気を自ら失うだけだ。
かと言って、私はpositive推しもしない。所謂、「意識高い系」みたいなのは苦手笑 根拠のないポジティブや頑張ってますアピールにはそそられないし、「だから、何が言いたいの?」って思ってしまう。
大事なのは【自分の意識】、という点では同感だ。positiveに考えて、目標達成をした自分を描くのは大事なこと。しかし、たまにいる、「positiveに考えれば全てOK!」みたいなメッセージはいかがなものかと思う。言葉が足りなさすぎやしないか?
何かを達成しようとする時、それには犠牲が伴うだろう。妥協もある程度必要になってくる。その中で、そのマイナス部分を完全に無視するというのはなかなかできることではない。むしろ、その代償を払っていることをしっかり認識することも、成功へのカギではないのだろうか?
闇雲にpositiveに考えていても、結局自分のnegativeな部分と向き合うことができなければダメだ。positiveもnegativeも含めて、総合的に考えていくことが大切だと思う。
さて、何でこんな話をしたかと言うと、最近、色々と【楽しいこと】を考えているからだ。
病気になった私には、negativeを考える時間が沢山あった。特に最初の頃なんて、negativeのオンパレードだったもんね苦笑 【線維筋痛症】という病気は、原因はハッキリとは分かっていないものの、心身のストレスが合致した時に起こると考えられている。そのため、病気になりたての頃は(まぁ今もなりたてっちゃなりたてだけど笑)、何が原因なのかを自分なりに沢山考えた。
それが何かというのはここで言うことではないと思うから言わないが…まぁ、そりゃ病気にもなるよね、って思った笑 当時はその状況を当たり前だと思っていたのだが、冷静に考えると、妙に納得してしまったんだよね。ストレス過多で、発散方法もでたらめで、そのせいだと確信しているなう苦笑
「そっか、じゃあ今までの反省を活かして、これからできることを考えよう!」
negativeに考え抜いた末、恐ろしい程positiveになれたのだ。
今、もう自分が次にやりたいこと、やれることを見つけることができた。これが何と、頭で描いているうちに、あれよあれよと進んできている。人と再会できるようになってきたと以前にも書いたが、その再会の中で、手助けになる意見をくれる人や声をかけてくれる人がどんどん現れたのだ。本当にびっくり。
今日も、ある旧友と素敵なメッセージのやり取りをすることができた。自分のやりたいことを突き進んでいる彼の応援も借りることができそうなので、これからどんどん加速する気しかしない笑
病気になって、できることが限られていることには変わりはない。痛いし、フラフラするし、長時間立ち歩けないし…組織の一員としてバリバリ働くことは難しいだろう。
それでも、自分のスキルや能力を活かしてできることなんて沢山あるということに気づいた。私が望むのは、【人に何かを伝え、教える】こと。それが私なりの社会貢献の仕方だ。
もうね…毎日ワクワクしかしてないよ◎笑