Damn Good Life -愛する人生-

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Gotta Know "Moderate" 【適度を知らなきゃ】

9月に突入した。

 

痔の手術から約2週間経ち、お尻の痛みはほぼなくなった。

だが、天候のせいで線維筋痛症の症状はキツめ。常に頭が痛いし、全身の骨や筋も痛む。昨日まではほぼ毎日、ベッドでの生活を余儀なくされた。

 

線維筋痛症になってもう3年目…元の【痛みのない身体】なんて忘れてしまったから、正直、今のこの痛みが一般的にどれ程の痛みなのかが分からない。

 

高校の英語科教員としてバリバリ働いていた頃、もちろん体調の悪い日もあった。でも、頭が痛いくらいでいちいち仕事を休んだことはないし、我慢しながらなんとかその日をやり過ごしていたはずだ。

 

じゃあ、今も、もしかして自分が怠惰なだけで、本当はもっと動けるんじゃないか?

 

そんなことを何度も思ったので、9月に入ったら【やってみる】と決めていた。そう、痛みがあっても動くことにしたのだ。

 

 

極度の貧血になってしまった2ヶ月前(原因は痔の出血苦笑)…そこから在宅の経理の仕事をお休みさせてもらっていた。

 

今日は朝から頭痛が酷く、午前中は「このままだと仕事再開は明日からかな…?」なんて思いながら相変わらずのベッド生活を送った。

いつもならそのまま1日ベッドの上だったろうが、今日の私はそこでスイッチを入れた。

 

「痔も治したし、これで貧血にもならないし…後は線維筋痛症とどう付き合うかなんだ。ここで動けなかったら、この先もずっとやりたいこともできずにベッド生活のまま…そんなのは嫌だ!」

 

スイッチを入れた時の自分は120%のチカラを出せる…いや、【出してしまう】のを知っている。だからこそ、実験として、【スイッチを入れれば痛みがあっても元に近い生活は可能なのか】を試したかったのだ。

 

 

結果から述べると、3時間程で1ヶ月分の経理の仕事を完了させられた。かなり理想的なペースで仕事ができたので、結論として、【痛みが酷い時でも物事を遂行することは可能】ということになる。

 

 

だが、マイナス面は仕事を終えてからやってきた。

 

 

18時すぎに仕事を終えたのだが、その時点でコンディションは最悪だった。頭をずっとトンカチで殴られてるような痛みが襲い、もう何もできないと悟って19時にはベッドに入った。明日も引き続き仕事をするためには、少しでも体力回復させる必要がある。とにかく早く寝て少しでも身体を休めたかったのだ。

 

しかし、現在23時…あれから4時間経つが、頭が痛すぎて眠れない。

 

どうしても寝付けず、結局、こうしてブログを書いているというわけだ。

 

 

思い返すと、教員時代もそうだった。

 

先にも述べた通り、私の性格上、何かを【やる】となったら集中力が半端じゃないし、バカ真面目に120%のチカラで臨んでしまう。

だから、夜はどんなに早く(と言っても、あの頃は真夜中越えてからが普通だったが)ベッドに入っても、眠りにつけるのは2時間後だったり、酷い時はほとんど眠れずに朝日を迎えてまた仕事へ…なんてこともざらだった。

 

 

数年ぶりにこの状況に陥って、自分はつくづく【適度】ということを知らないなと思った。

 

 

これから線維筋痛症と上手く付き合って生きていくためには、この【適度】を知ることが1番大事な気がする。

線維筋痛症になった今、120%を毎日やっていけるわけもない。絶対にどこかで(しかもきっと早めに)挫折する。最悪の体調と共に、だ。

 

1日やってみて分かったが、線維筋痛症の痛みは、教員時代に少し我慢して乗り越えられた頭痛なんかとはレベルが違う。あの頃、ここまで酷い痛みが、しかも1日中続いたことはない。ましてや、今は強い痛み止めや神経の薬を毎日14錠も飲んでいるのにこれだ。

3年目で痛みに慣れてしまっているため、今日はなんとか我慢しながら仕事もできたが、同じこの痛みが線維筋痛症になる前の自分にいきなり襲ってきたとしたら、多分、その日は授業もデスクワークも何もできず休んでいたことだろう。

 

痛みというのは人には伝わりづらく当人にしか分からないことだが、とにかく、薬を飲んで抑えていてもこれだけ痛い、吐き気がするほどの痛み、ということだけでも理解していただきたい。

 

 

そんな痛みと、これから多分一生付き合っていかなければいかないのだ。

 

だから、今月は【模索】する。

 

どれくらいのチカラ加減だと夜眠れるくらいの痛みで治まるのか?痛みと共に動くというのは1日何時間、また、何日連続で可能なのか?できる活動とできない活動は何か?

 

色んなことを、少し無理して、今月は試していく。

 

 

生きているなら、人生まだまだ諦められないことが沢山ある。生きているなら、やりたいことは何でもやりたい。

 

少し、昔の自分に戻ってきた気がする。

 

どんなカタチでも良い。生きていることを感じられることが好き。なぁなぁで何となくって、やっぱりできないんだな、私は。

Learning Is Fun 【学ぶことは楽しいよ】

手術から1週間経った。

 

無事退院もして実家で過ごしているが、2日前の夜から急に術部の痛みを感じ、声を出さざるをえないほどである。さらに、痛みが続くと頭痛や吐き気も起こり、全身気持ち悪さが酷い。

 

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ネットからの借り物だが、イマドキの痔の手術では図のように【輪ゴム】で処理することが多いらしい。私も2ヶ所輪ゴム処理されたと説明され、この輪ゴム処理されたところが壊死して取れる時に痛みを伴う場合があるそうだ。

 

多分、そのせいで痛みが強いのだろう。

 

手術直後は余裕にしていたが、やはり手術は手術。痛くないわけがないのであった。

 

 

そんなわけで、仕事に取り掛かりたいがまだできていない。焦りもあるが、そこは身体を第一に考えなければと、ひとまずベッドで安静にしている。

 

 

ただ黙って横になっているのも暇なのだが、文字を長時間書いたり読んだりするほどの気力はない。本を読むにも頭が痛いし、何か書くにもベッドの上なので姿勢が悪くなり、身体の節々が痛くなる。

 

そこで、何か楽に勉強できるアプリはないかと探し始め、見つけたのがこれだ。

 

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最近、またQuizKnockさんの動画を観るようになったので、とにかく何か新しい知識をつけたく思い、昨日から【世界の国々の名前と場所、首都、国旗】を覚えることに決めた。知っていたらもっと世界情勢を理解できるだろうしね。

 

これが案外サクサク覚えられて楽しい。昨日の夜だけで、ヨーロッパの30ヶ国は制覇した。

 

 

覚えたことを母の前で披露したら、「あんたはほんとに勉強好きだねー、偉いわ。」と感心された。

 

 

私としては、新たな知識を身につけることは遊びと同じでただの【楽しい暇つぶし】だ。ゲームをしたりSNSを見たり…それらと何ら変わりはない。

 

ただ、みんながそう思うわけではないのも知っている。【勉強】と聞くだけで嫌な顔をしてしまう人だって沢山いる。もしかしたら、そっちの方が多数派なのかもしれない。

 

 

学ぶことを楽しいと思う人と辛いと思う人…違いはきっと、【やり方】なんだと思う。

 

私だって、興味のない分野にいきなり手をつけることはしないし、好きな分野でも難しい専門書や教科書から始めることはしない。

 

今回のようにクイズ形式のアプリでも良いし、参考書にしても、本屋さんに置いてある参考書全てにサラッと目を通して、1番自分に合ったもの…分かりやすくて、イラストもそれなりにあって、文字も小さすぎず、カラーで見やすいものを選ぶ。

 

【勉強】と身構えると誰だって嫌になる。だから、少しでも【楽しい】と思える要素を自分から作っていくのだ。

 

誰から教わった訳でもないが、小さな頃から進んで【楽しみ】を勉強に紛れさせることに全力を注いでいたように思う。

 

ノートをとる時も、イラストを入れてみたり図で示してみたり、絵が難しい時は、参考書の写真を切り取ってノートに貼っていた。語呂合わせも工夫して考え、少しでも【楽に、楽しく】をモットーにしていたな。

 

特に、好きではない分野を進路や仕事のためにやらなければいけないという場合は、こうして勉強の【やり方】を工夫することがかなり重要だと私は思う。

 

 

ちなみに…【勉強】は学生だけのものではない。どんな人でも幾つになっても、多かれ少なかれ、みんな【勉強】しているはずだ。

 

この世には数多の学問があり、分野があり、また、そんなに堅いことじゃなく、趣味として扱える娯楽やスポーツなど、「もっと知りたい!」と関心を注げることが星の数ほどある。

 

私はたまたま、「深く知りたい!もっと追求したい!」と思えることが【英語】や【教育】という学問系統だっただけで、大人になってからも、何かを新しく覚えようだとか、学生時代に部活動でやっていたスポーツや芸術を続けていくだとか…それだって立派な【学び】だ。

 

 

【勉強】という謎のお堅い空気に呑まれるのではなく、自らが好ましい環境や道具を用いて、【楽しい学び】の時空を創り出すことができれば、どんな難しい内容でも、きっとよりすんなり頭に入ってくることだろう。そして、それに慣れてくれば、どんどん学びに貪欲になっていけるはずだ。

 

 

さてさて、今日も痛くて動けないが、楽しみは見つけたから少しは気が楽だ。今夜もまた、世界の国々を覚えていくとするか。

Operation 【手術】

人生初の入院、手術…痔でね苦笑

 

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せっかくの初体験だから、と思って楽しみ尽くした4日間だったな。

 

手術は脊椎麻酔で下半身だけ感覚ない状態だったから、電気メスで肉が切れる匂いをかいで、「今、自分の肉切られてるんだなー、すげぇ!」とか余裕ぶっこきながら、有線でリクエストした【洋楽2010' HIT】を口ずさんでいる間に終了◎

 

麻酔切れたのはその5時間以上後で、それまでは胸から下が自分の身体じゃないみたいな不思議な感じを堪能してた笑

 

麻酔切れてからも、聞かされていたより痛みは強くないし、なんだか拍子抜け。

線維筋痛症になってからほぼ毎日痛みと闘っているせいなのか、ちょっとやそっとの痛みじゃ「痛い」って思わなくなってきたかも苦笑

 

いいことなのか、悪いことなのか…?

 

まぁ、そんなこんなで、痔とはオサラバ◎

これでもう極度の貧血で輸血レベルまで青ざめることはないだろうし、少しは動ける日が増えるだろう!

 

また少しずつ動けるようになるんじゃないかなって、ウキウキしてる。また家事やって、バイトもして、友達とも遊んで…楽しみたい!

 

…でも、あんまり期待しすぎるとできなかった時に死にたくなるからやめとこ苦笑

 

少しずつで良い。無理しなくて良い。

 

まずは、第1歩踏み出せたんだから、それだけでがんばった!偉い子!よしよし。

 

こうやって自分を励まして認めてあげなきゃな◎

 

Suddenly 【突然】

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明日から痔の手術のために入院。人生初の入院and手術でドキドキワクワクだ。

 

実家で明日の用意をしていたが、暑いので扇風機を付けた。角度を変えようとしたら…裏の網が曲がって隙間が空いていたらしい。左手薬指がそこから中に入ってしまい、「ブンッ!」という音と共に、一瞬、熱いような痛みを感じた。

訳も分からず、とりあえず指を見た。血がドクドク溢れている。

 

「え?」

 

ティッシュを2枚手に取り、急いで指を覆って血を拭う。

「ん?何の音?なした?」と、父の声。

 

私は数秒言葉に詰まり、か細い声で「切れた…。」と答えた。意味が分からず聞き返す父の横に母が現れ、同じように問う。

 

「指、切れた…。」

 

そう言って左手薬指を見せた。まだ傷口から赤い液体が外に漏れ、爪の間にまで滲んでいる。

 

「は?!何やってんの!!」

 

急いでオロナインと絆創膏を持ってきて処置してくれた母。その間も、私はただただ黙ってティッシュで覆われた左手薬指を握っているしかできなかった。

 

 

病院へ行く程ではないが、なかなかの切れ具合だったようで、30分以上経ってもまだジンジンドクドクいっている。

 

 

もし、この傷と同じ深さまで、刃物を使って自分で切るとしたら、こんなに冷静にいられるだろうか?

 

おそらく、ビビりながらなんとか切り込めたとしても、その痛さと、これからまだ深く刃を入れなければいれないという恐怖で、鼓動は飛び跳ね、喉の奥から悲痛な声を漏らしてしまうことだろう。

 

でも、同じ傷の深さでも、こう唐突に刻まれては理解するまでに時間がかかる。理解するまでは、自分の身体の一部から血が流れているというのに、痛みを最小限にしか感じないものだ。

 

 

ということは、人間の【痛み】というものは、【身体が感じる痛み】よりも【心が感じる痛み】の方が強いということか?

 

 

【自殺する生物は人間だけ。それは、心の痛みの方が身体の痛みよりも上だから。】という内容を、最近ハマっている漫画で読んだ気がする。

 

 

そう考えると、【思考や認識】というものは、人間故の最大の強さであると同時に、自らを最弱の生物にさせる可能性を秘めている、恐ろしくも崇高なものということだな。

 

 

昔から、よくその【可能性】に惹き付けられてしまう。怖いけれど、知りたくなる。その先に何があるのか、何処まで行けば限界なのか…人間の【強さ】も【弱さ】も、突き詰めたくなることがあるのだ。

 

こんなこと、口に出して語らう機会などもちろんなかった。だが、こうやって書き留めておくのも良いだろう。

 

 

ここはそういう場所。私の頭の中を少しずつ言語化していく。

 

その先に何があるか、【思考や認識】を突き詰めることは、人間にしかできないことだから。自分を最弱に貶めることになっても、私は、考えることを愛する。

Came Back Here 【お久しぶり】

2年前かー、色々書いてたの。お久しぶり。

 

なんとなぁく、また考えを書き溜めたいと思うようになったから、静かに再開してみようと思う。

 

今日は超絶グロい夢を見た。人の頭が狂犬に喰いちぎられたり矢で射抜かれたりするような、謎のアトラクション。それをただ、ジェットコースターに乗りながら観させられるというもの。謎だらけだし文字化しづらいが、とにかく気持ちの悪い内容だったことだけは伝わって欲しい。

 

楽しい夢を見ることは本当に稀で、だいたいグロいか怖いか、後は、リアルに何かを失敗したり人から冷たい言葉で罵られたり…この1年くらいはずっとそんな感じだ。

 

とりあえず、今日の夢をきちんと文字に起こしたかった。今まで見た夢の中でも1、2を争うグロさだったからだ。

 

これを元に、後にホラー小説でも書いて、売れて映画化されて、印税暮らし…できるかもしれない笑

 

そんな浅はかな考えからではないが、少なくとも、自分と向き合うのには大切なことと思い、夢も記録しておこうと思う。

 

とりあえず、そんな感じ。

Positive or Negative【ポジティブ?ネガティブ?】

twitterをしていて、質問箱的なものをやり始めた。

 

フォロワーの中でやっている人が結構いたし、最近、特に呟く内容もなくなったので、気晴らし程度にやってみた。

 

これが、案外、面白い。

 

匿名で質問が来る。

 

【どんなデートが好き?】、【逃げることって、悪いことじゃないですよね?】、【体調大丈夫ですか?】、【学歴ってどれくらい大事なんでしょう?】…

 

まぁ、内容も本当に色々。運営側から来る質問もあるし、それ以外から来る質問もある。身体のことを聞いてくれたのは、きっとフォロワーの誰かだろう。当たり障りのない質問は、きっと運営から回ってきたものだ。

 

 

でも、どんな質問でも、思うことをそのまま率直に答えていた。私の中では、ただの暇潰し。

 

 

なのに、こんな質問が来た。

 

【凄く素敵な考え方を持っていて尊敬します。普段から何に関心を持って過ごしていますか?】

 

 

そもそも、私の考え方は尊敬に値するものではないし、私自身もそんな器の人間ではない。なのに、こんな風に私の考え方を尊重してくれる人がいるのだと、びっくりした。家族や彼氏、友人関係でも、普段、こんなことは思っても直接言うことではないだろうし、実際、言われたことなんてない。でも、匿名で、文字化されて、率直に私を受け入れてくれる言葉をくれた。

 

 

SNSは怖いと、改めて思った。

 

 

私は文字が苦手だ。SNSやブログをやっていると、「文才があるよ!」って褒めてくれる人も多い。だが…実際、私は本を読むことも嫌いだし、文字から感情を読み取れないポンコツだ。

 

 

なのに、私は書くことが好きだ。

 

 

こうやって書いたことがどうやって人に伝わっているのか…それは絶対に分からない。それでも、私は書くことで発散しているのは確かだ。仕方がない。これで救われているのだから。

 

 

ポジティブを推奨する人が多い。

 

でも、ネガティブがそんなにダメだろうか?

 

ネガティブに考えるということは、自分自身を第三者的に俯瞰で見て、状況もしっかり把握して、その時に出来ることをやるってことではないのか?少なくとも、私はそう。

 

だとしたら、それって悪いことじゃないと思う。

 

自分の能力や、その時の状況を理解して、それに応じた対処をできる方が、自己満足を言い張るバカよりよっぽどいいんじゃないのかな?

 

 

…なんてね。

 

誰かと働くことを辞めた自分が言うことなんてちっぽけだけど…

 

でも、社会に生きようと思うなら、別にポジティブである必要はない。ネガティブが悪いなんてこともない。

 

 

私はもう、2度と社会に戻らないと思うけど、それは自分がネガティブだからではない。バカみたいにポジティブな奴らに潰されただけだから。

Life【生】

最近、天候やストレスで、体調がボロボロだ。予定もろくにこなせない。

 

でも、病気になってからは、自分のリミットを理解することができたから、無理をすることはなくなった。私自身のことで言えば、それは大きな成長であって、【自分を甘やかす】という術を覚えつつある。

 

しかし、個人的に仕事をしているからと言って、これは良いことではないのは分かっている。予定していたことをこなせないのは、社会人としては致命的だ。

 

結局、身体や心がついていかないことが多い。

 

そうすると、結局心の中で、【自分はダメなやつ】という感情が育ってしまう。

 

 

私自身はずっと否定していたが、昔から、学生時代から、「お前は真面目だから…」と言われることが多かった。

 

私の考える私自身は、【不真面目で、自己中で、全てに甘えていて、何もできない人間】だ。でも、人はそうは捉えていないらしい。真逆の印象を持たれることが多い。

 

 

「それは外面が良いだけで、みんなが私のことを良く見てくれているだけ」…ずっとそう思っていた。

 

 

でも、病気になってから気づいたこと。

 

 

そうやって自分を卑下しているから…だから、SOSも出せずに、がむしゃらに何とかしようとしてしまうから、自分を崩してしまうんだ。

 

 

人に対しては、物凄く寛容だと思う。イライラすることもないし、どんな人でも受け入れる。だって、自分が人に受け入れて欲しいから。

 

自分と合うとか合わないとか、そんなこと関係ない。その人の考えや生き方に、文句を言うなんてナンセンス。それぞれ違う人間なのだから、意見を押し付け合う意味がない。

 

 

個人を認めるという意識は高いと思う。

 

なのに、

 

自分自身を認められていない。

 

これが問題なのだ。

 

 

病気になって1年が過ぎた。この間に、沢山の行動を起こすことができた。【このままではいけない、変わりたい】と思って、やれることを最大限やれた。

 

でも、まだまだ戦いは終わらない。

 

 

環境を変えたからと言って、全てが変わるわけではないのだ。むしろ、自分自身が変わらなければ、大きな代償を払って環境を変えた意味すらない。

 

 

そんなことを考えながら、毎日を過ごしている。

 

これすらも、人から言えば、「考え過ぎ!」ってことかもしれない。

 

 

私はいつでも考えすぎる。

 

そして、自分の首を絞めていく。

 

 

それでも、いつだって前に進むことしか考えていないから。

 

ゆっくりだけど、自分なりにしかできないけれど、着実に、前に進んでいるから。どんな時でも。

 

 

どんなことでも試すよ。自分を癒す方法があるなら。でも、それはあくまで自分の琴線に触れることだけ。人から言われたことでは意味がない。それは私じゃないから。

 

 

 

みんなそれぞれ、自分を甘やかす方法があって、それは十人十色で…それで良いじゃない。

 

 

私は私なりに、毎日を戦ってる。毎日を楽しもうと必死。せっかく生きてるなら、毎日幸せに生きたいもの。逆に、幸せじゃなきゃ、生きてる意味がないもの。

 

 

適当に生きちゃダメ。生きるなら、精一杯生きよう。